世界的ファッションデザイナー、ピエールカルダン氏が死去。どんな人、自宅や資産を調べてみた

こんにちは、Koduck です。

世界的ファッションデザイナーのピエール・カルダン(Pierre Cardin)氏が98歳の老衰で亡くなりましたよね、

引き出しの奥に結婚式の引出物なので頂いたピエールカルダンのハンカチが何枚か持っている人が多いんじゃあないかな?

世界的に活躍したピエールカルダンは、どんな人?自宅や資産を調べてみました。

スポンサーリンク

1 ピエールカルダン どんな人

戦後、ファッション界を支配していたのはブルジョワ向け一部の貴族や資産家のオートクチュール(高級注文服)でした。

ピエールカルダンはパリの百貨店プランタン向けに既製服コレクションを提供して、1970年代に前衛的なデザインでファッション界に波紋を広げた人です。

カルダン氏は1922年イタリア生まれ。39年からヴィシーの仕立て屋で職業指導を受ける。45年にパリに移り、47年にクリスチャン・ディオール(Christian Dior)のアトリエの責任者になる。当時のディオールには、イヴ・サンローラン、ギ ラロッシュがいた。

その後、50年に自身のアトリエを構えて独立。

演劇や映画の衣装を手掛け、53年に初のオートクチュール・コレクションを発表し、高い評価を得た。59年にはフランスオートクチュール協会のメンバーとして初めて、ウィメンズのプレタポルテ・コレクションを発表し、モードの民主化を実現。ライセンスビジネスにも積極的に取り組み、大きな成功を収めた。

引用元:WWD

ファッション雑誌 VOGUE の中で

──あなたの教え子といえるデザイナーは?

ジャン=ポール・ゴルチエですね。

──人生で後悔していることはありますか?

子どもをつくらなかったことですね。子どもは、違った視点を与えてくれます。

──未来へのヴィジョンはありますか?

コピーしない。二度と同じことを繰り返さないことです。それが未来というものです。

と答えています。

一部の裕福層だけを顧客にするのではなく

一般層にデザインと購買を開拓していき

服飾文化を民主化したのに時代が後押ししたのでしょうね、

常に斬新なアイディア、生活を求めて

人々が魅了するデザインを求めるあたり

イタリアとフランスの文化が大きく影響していたのではないでしょうか?

2 ピエールカルダン 別荘

南フランスのカンヌ郊外、高台にあるピエールカルダンの別荘は〝バブルハウス〟と呼ばれており

シャボン玉をイメージした宮殿のように建設されています。

建物内はすべて円形でデザイン

ファッションショーもされるほど
奇抜な空間でした。

ビートたけしさんが番組内で

招待されたことがあったけど、行けなかった…

なんてエピソードを語っているほど有名な建物なのですね

ハンガリー建築家が設計し

フランス実業家が所有していたが1990年代初めに

ピエールカルダン氏が購入。再び競売に出されています。

価格は公表されていませんが(売却成立の噂もあり)

約3億6200万€(約433憶円強)と推定されています。

写真出典元:HEMIS/アフロ

3 ピエールカルダン 資産

ブランド創設70周年に死去したピエールカルダン氏

モード(フランス語で流行やファッションの意)を牽引してきた故人の資産は、どのくらいなのでしょうか?

日本でも人気のあるブランド

世界中でピエールカルダンの顧客は多かったことでしょう。

ピエールカルダン氏の資産については
詳しくはわかりませんでした。

2011年ごろには「ブランド」売却の意思を明かしていましたが…

ご自分の引退と熱烈な顧客層の高齢化や
マーケティングの変化などを考えて

いろいろな整理を考えていたのかなと推理できます。

4 まとめ

昨今の日本市場でも

古着、ヴィンテージ服が見直されています。

一時期、父親のタンスに眠る当時流行った服が

子供たちに人気だったこともあったよね

高級衣服がコロナ禍で売上げが厳しい市場にもなっているし

Koduck もワークマンの服をライダース用に使いまわしたり

コーナンの電熱ヒーター内蔵パーカーを本日、買いました。

オシャレもいいけど、実用を重視しているので
ピエールカルダンはハンカチだけで十分です。

コロナが落ち着いて、

素敵なオジサマでいられるように考えたとき

オシャレを考えてみようかな?

最後まで、お読みいただきありがとうございました。

ポチっと押してね!
スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。